「忘れる」機能
今日は、長崎に原爆が投下された日です。
当時の長崎の人口の1/3、7万人の方が亡くなりました。
戦争では、大空襲、広島、その他で大変多くの方が亡くなったのは、ほとんどの方がご存知かと思います。
ただ、最近では、実際に戦争を体験した方から、直接にお話を伺う機会が少なくなってきているのも感じています。
ほぼ終戦間近で生まれた私の父も、随分な歳になりましたし。
文献・資料・映像などで、戦時中のことを知ることは、今でも、今後でもできます。
しかし、実体験を直接伺う時の胸の苦しみは、文献などを通してでは感じることができません。
風化していくことも、ある側面では大事なことだと思います。
本当に辛かったことを克明に記憶し続けるのは、とても苦しいことなので。
そのために、人の脳は《過去を忘れる》という機能を持っています。
辛い記憶から《脳を守る》ためです。
ただ、体験をされた方は、未だに目に焼き付いて頭から離れないとお聞きします。
脳の《過去を忘れる》のいう機能も、完全に記憶を消し去るわけではないので致し方ありません。
しかし、忘れてはいけないけれど、忘れることが必要なこともあるのだということです。
「忘れる」、「忘れた」と聞くと、ネガティブな印象ですが、人にとって大切で必要なことですね。